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知らなきゃいけない年金の話 Part1

 

 こんにちは。ミヤムラです。

 さて、いきなりですが、みなさんは年金制度についてどこまで知っていますか?

 「払い損」とか「年金制度は崩壊する」などはテレビでよく報道されているため、聴いたことがある人も多いと思います。

 

 

 最近ですと先日、朝日新聞の朝刊で「人生100年、蓄えは万全?」という見出しで書かれた年金問題への批評が、ネット上で物議を醸しました。

 金融庁の発表した「高齢社会における資産形成・管理」というタイトルの報告書安に対して、朝日新聞は「政府が年金など控除の限界を認め、国民の『自助』を呼びかける内容になっている」という内容で紹介しました。

 

 そのためネットでは「高い年金と税金は何のために支払っているのか」「それなら年金を徴収する意味があるのか」「それなら他の制度をもっと充実させるべきでは」などといった批判が殺到しました。

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 ただ、テレビや新聞の知識だけで批判していませんか?

 ネット上では筋違いな批判や、間違った知識のまま意見を述べる方をよくみかけます。

 

  

 そこで年金について正しい情報をpart1~6に分けて、出来るだけ専門的知識なしでも理解できるように説明していきたいと思います。

 これを機に、年金についての正しい知識を身に付けませんか?

 

 まず、今回のpart1では年金制度の基礎的な部分を紹介していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PART1 年金って何なの?

 

1 年金ってどういうもの?

 

 

     女性会社員の表情イラスト「疑問」

 

 

 年金とは簡単に言うと、「給料の一部を国に預け、働けなくなった老後に受け取れる制度」のことです。

 この預ける額を「保険料」、受け取る額を「年金」などと呼びます。

 すごいざっくりとした意味では、お金を使いすぎないように国が代わりに貯金してくれている、というイメージです。

 小学生の時にお年玉を貰っても、「あなたの将来のためにとっておくから」などと言われ、お母さんに没収されませんでしたか? まさしく、国がお母さんのように使い過ぎを防ぐ役割を担っています。ただ、お母さんと違って年金は現金として戻ってきます。

 

 この制度は「アリとキリギリス」のキリギリスにならないように国民を管理するものと考えてもらえれば大丈夫です。若いうちに無計画にお金を使って老後にお金がない、なんてことを防ぐためにお金を管理するものです。お金を使いすぎて年を取ったら生活保護なんて、節制してコツコツ貯金をしていた人が聞いたら大激怒だろう。

 その生活保護の代わりに、自分で責任を持ってもらうための制度が年金という制度になります。

 

 なぜこのような制度が生まれたのかは少し長くなるのでPart2のほうで解説していきたいと思います。

 

 ここでいう年金とは「老齢年金」のことを示します。みなさんがパッと思いつく、年を取ったら貰えるお金のことです。今回は記事では簡略のため、「年金」=「老齢年金」として扱いたいと思います。本来、年金には他にも「障害年金」と「遺族年金」がありますが、趣旨と離れてしまうのため、後でサラッとだけ説明します。

 

 

 この老齢年金にも種類があり、国民年金と呼ばれるものと厚生年金と呼ばれるものがあります。

 国民年金は20歳から60歳未満のすべての人が加入します。さらにその中のうち、会社員と公務員は厚生年金を支払う必要があります。(自営業者や専業主婦は厚生年金を支払う必要がありません)

 

 

 

2 年金制度を詳しく見る

 

   できる会社員のイラスト(男性)

 

 

2.1 受け取り資格について

 

 保険料納入期間に、免除期間を含めた25年以上支払っていることが条件です。この条件が満たされなくても特例措置がとられる場合もあります。

 

 

2.2 年金の種類について

 

 「年金」と聞くと年を取ってから受け取るものというイメージを持つかもしれませんが、そんなことはありません。

 年金には老齢年金・障害年金・遺族年金の3つがあります。

 

① 老齢年金

 ほとんどの方がイメージする年金がこの老齢年金です。

 老齢基礎年金(国民年金を支払った人)は原則として25年以上支払った人が65歳に達したときに支給されます。減給付きの繰り上げ支給、増額付きの繰り下げ支給が可能です。

 老齢厚生年金(厚生年金を支払った人)も受給資格を満たした人に65歳から支給されます。

 

 

② 障害年金

 これは年金加入中の病気やケガによって仕事や生活ができなくなった場合にお金を支給するという年金です。

 手足や眼、耳などの外部障害から、統合失調症うつ病などの精神障害、さらにがんや糖尿病などの内部障害など、対象となるケガや病気は多岐に渡ります。

 

 受け取り条件としては、対象となる病気の初診日の前々月までに、2/3以上支払っていること、または初診日の前々月までに一年間の未納がないことが条件になります。

 

 

③ 遺族年金

 これは年金受給者や被保険者が死亡した場合のうち、その人にによって生計が維持されていた場合に支給されます。

 受け取り条件は障害年金と同じになります。

 

 

 

 なお、それぞれの年金として受け取れる額の計算は複雑で、支払った年数や条件によっても異なるので、詳細を知りたいという方は厚生労働省日本年金機構に関するサイト(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin/nenkin/index.html)などを参照に、調べてみてください。

 

 

2.3 免除制度・猶予制度

 

 全てのひとがきちんと年金を支払えるような経済状況であるとは限りません。そのため年金には免除制度と猶予制度が存在します。

 

 免除制度は一定の所得基準に満たない人が保険料の全額・一部を免除できるという制度になります。免除した分の期間分は、年金額が少なくなります。しかしそれでも免状額より受け取る額のほうが大きいので(全額免除した場合、受取額は1/3になる)、所得再分配効果を持ちます。

 

 支払い猶予制度には「学生納付特例制度」と「若年納付猶予制度」があります。

 これは学生あるいは所得が少ない若者の保険料を最大10年猶予するものです。しかし、免除制度と違って猶予期間分の年金を受け取ることはできません。

 

 

〈今回のまとめ〉

 今回は年金制度についておおまかにですがまとめていきました。これで基本中の基本は理解できたのではないでしょうか?

 しかしこれだけでは、年金制度の存在意義や問題点などは見えてきません。

 そこで次回のPart2では「年金制度の歴史」を通して、なぜ年金が生まれたのか、現在の制度になったのかを見ていきたいと思います。

 

 

 

※ この記事の作成にあたり出来る限り多くの文献・サイトを参考にしたうえで執筆いたしました。十分に注意しているつもりですが、間違った内容であったり、簡略化するために誤解を生むような表現をしている可能性があります。

 疑問点や修正すべき点がございましたら、コメントにて質問・ご指摘お願いいたします。

 

 

(参考サイト・文献)

 

厚生労働省 「年金・日本年金機構関係」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin/nenkin/index.html

最終アクセス 2019年6月8日

 

鈴木亘 (2009年) 「騙されないための年金・医療・介護入門-社会保障改革の正しい見解・考え方」 東洋経済新報

唐鎌直義・小澤薫・久昌以明・宮本悟 「どうする!あなたの社会保障 ③年金」 株式会社旬報社

芝田英昭 「基礎から学ぶ社会保障」 自治体研究所

上村敏之 (2009年)「公的年金と財源の経済学」 日本経済新聞出版社

 

これは一種のゲームだったかもしれない『フェイクゲーム』阿川大樹 【あらすじ・見どころ】

 

 

 そこには、敷かれたレールから落ちた男が一人いた。そこには、野心を持った女が二人いた。3人が出会ったのは偶然だった。

 

 

 

 

 

 

 

〈あらすじ〉

 

 翔太は名門大学の学生。大学へのモチベーションがないため、バイト漬けの5年生である。ある日、バイトの元同僚であるリツと遭遇する。11月だというのにミニスカートを穿き、へそを出す派手な女は、最後に会った時とは大違いだった。見ただけで分かった。色気を売った商売をしていると。久しぶりにあった彼女と奇妙な縁でつながりを深めていく翔太。

 

 そしてこれはもう一人の主人公。麗美は普通の大学生であるということに不満を抱いていた。何かトップになりたいという野心だけはあった。ある時、麗美はホステスに勧誘され、そこで働くことを決意する。真面目に働く彼女であったが、とあるヤクザの組長に目を付けられ、奇妙な偶然から彼の愛人という名目でビジネスパートナーになる。

 

 そして「普通」であったなら絶対に関わる領域に踏み込み、3人の物語は一つに収束していく。

 

 

〈見どころ〉

 

 

① 混雑感

 

 まず、この小説は要素がたくさん詰まっているというところに注目してもらいたいです。なぜならこの小説はテーマが限られているわけではないからです。あらすじでも述べた「非日常」だけではなく、様々な社会問題や歴史、文化に触れています。不法滞在、家族の在り方、原発問題、歌舞伎町の文化などなど。これらがあたりに散りばめられているので、世界各地の料理が集められたのかというぐらいのジャンルと、一人で消化しきれないのではという量。

 

 これは一気に読んでしまうと頭がパンクしてしまうかもしれません。加えて登場人物、さらには焦点が当てられている人物が多いのでもうパラダイス。すごいボリューム感です。

 

 

 といっても要素が詰まっているだけで、とりわけ難しい表現とかは感じませんでした。また、作者の哲学書というより、一個人の過去とか意見らしく書かれているので、読みやすくはありました。

 

 そういった意味で、ごちゃごちゃした雑踏の中での泥臭い雰囲気が好きな方にはおススメできるかなと思います。

 

 

② 真実とは何か

 

 この物語には主人公と呼べる人物は3人登場します。一人は翔太、もう一人はリツ、そして麗美。この3人の運命が次第に混ざり合う訳なのですが、ここにも注目ポイントがあります。それはリツからの視点はほとんど何も描かれていないということです。

  

  翔太は元々職場が同じであり、仲を深めたリツのことを次第に信用していきます。しかしながらリツの身の上話、特に過去になにがあったのかという部分がリツから語られることはありませんでした。

 

 リツが語る中で、どれが真実でどれがウソなのか。おそらくではありますが、作者の阿川さんはあえて濁して書いたと考えられます。

 

 文章という限られた空間から、どのように取捨選択し、リツという人物像をどのように描き出すのか。ここは個人によって大きく見解が変わると思うので、ぜひリツの言動にも注目して見てもらいたいですね。

 

 

〈総評〉 

 

 兎に角、文量がなかなか多く、かつ内容もボリューミーなのでうまくまとめることができませんでした。これは申し訳ない。

 とりあげれているものは「歌舞伎町」「ヤクザ」「不法滞在」など、普段であれば日の当たらない部分です。普段関わることがない分、新鮮であるため、各々の波乱万丈な生きざまもスゥ~と頭の中に入ってきやすいと思います。

 

 この小説に登場する各業界に生きる人たちの生活はありそうではあるけれども、それ自体がフェイクなのかもしれない。また、終わり方は綺麗でありましたが、誰かが実は偽っているのかもしれない。そう思うと、余韻がさらに広がりを見せます。

 この小説を読む際には偽り・フェイクという単語を頭の隅において読んでみると面白いかもしれませんね。

 

 

 

〈書籍〉

 

 阿川大樹 『フェイク・ゲーム』 2009 徳間書店

 

 

フェイク・ゲーム

フェイク・ゲーム

 

 

 

 

【あらすじ・見どころ】『崩れる脳を抱きしめて』知念実希人

 

 「私は幻なの。私とあなたが出会ったのは奇跡みたいなもの。けれどもう奇跡はお終い」

 

 

 

 

 

 

〈あらすじ〉

 

 医師国家資格を見事獲得し、研修生として様々な部署で修行中の碓氷蒼馬(うすい そうま)。彼がやってきたのは所属する広島中央病院から遠く離れた神奈川県の自然に囲まれた葉山町。休養がわりにと紹介されたそこは全室個室、富裕層向けの療養型病院であった。高齢や重い病気を理由に「長くは生きられない人」に向けたその病院で、碓氷は一人の女性と出会う。

 弓狩環(ユガリ タマキ)。彼女は自らをユカリと呼んでと不思議な頼みごとをする。独特雰囲気の彼女に対し、すぐさま魅了されていく碓氷。二人の距離は近づき、ユカリは碓氷の過去にまで救いの手を差し伸べる。

 

 二人を引き裂いたものは「研修期間終了」という、避けられないものだった。ユカリに思いを伝えられなかった碓氷は後日、ユカリの元を訪れようとする。しかし、碓氷のもとへ弁護士が訪れる。

 

 「弓狩環さんは四日前に亡くなりました」

 

 彼女との思い出はすべて偽りだったのか、彼女は本当は幻だったのではないか。彼女の影を追い求めながら、碓氷は自問自答を続ける。

  ユカリさんが本当に望んでいたことは、真実はいったいなんなのか。

 

 彼女の姿を追い求め奔走する、若手研修医の葛藤と奮闘を描いた恋愛小説。

 

 

 

〈見どころ〉

 

 

 今回はこの作品。

 『崩れる脳を抱きしめて』。

 2018年本屋大賞にて8位に輝いた作品です。

 著者の知念実希人さんは医者ということで、医療系の小説をメインで出版していますが、今回も医療系の小説となっています。また、ミステリー好きの彼らしい、推理要素たっぷりの内容となってます。

 

 

見どころ① 驚きの2部構成

 

 

 「2部構成のどこがすごいの?そんなのよくあることじゃん」とおっもわれる方もいるかと思います。しかしこれ、すごいんです。

 私は知念さんの作品を読むのが初めてで、事前情報も仕入れずに読みました。そして、2部にあたるところを途中まで読み進めてようやく気付きました。 

 「この小説、事件編と解決編の2部構成だ……!!」

 

 そう、この小説は何とミステリーである事件編と解決編のふたつにわかれていたのです。ミステリー好きの知念さんだからこそだと思います。とはいっても殺人事件が起こるわけでも、碓氷が逮捕されるわけでもありません。この「事件と解決」というのは「ユカリさん」に関することについてなのです。それがこの物語の大きなミソとなるのですが、事前に情報がないと気づかないですねこれは。

 

 今から読む皆さんは、この2部構成の意味を知っていしまいましたが、それでも楽しめる、いや普通以上に楽しめるかもしれません。

 伏線を気にしないで読んでも良し、またどこが伏線何だろうと細かく注意して読むもよし。楽しみ方は人それぞれだと思います。

 

 

 

 

見どころ② 2度楽しめる小説

 

 そう、さらにポイントとして2度楽しめるということです。

 「解決編」を読んだ後であれば、「あ、ここのこの場面こういうことだったんだ」となるはずです。さらに言えば解決編の中にも伏線があるので、○○一冊読み返しても面白い作品です。

 

 

見どころ③ 裏切りの連続

 

 私はこの2部構成に気づけなかったわけですが、だからこそめちゃくちゃ悔しかったです。何が悔しかったかというと、伏線と思われるところをほとんど気にしていなかったからです。

 

 しかし、だからこそ後半の「解決編」はすごくすごく楽しむことができました。「ここでこうなるのか」と考えもしない方向に物語が進み、これまでのすべてがひっくり返るような事実が告げられたりと、予想ができない展開が続きます。「早く次が読みたい」と後半部分はぶっ通しで読まなきゃいけないほどに状況が二転三転とするため、読んでいて興奮すること間違いなしでしょう。

 

 

 

〈総評〉

 

 

 後半の展開の仕方がかなり面白く、その逆転ともいえる伏線回収は感服いたしました。だからこそ逆に悪いところも見えてしまう訳なのですが……。というのも、前半が少し安っぽいというか、簡素というか、少し物足りない感じがしました。私は「本屋大賞8位」ということを知っていて読んだため、「本屋大賞ってこんなレベル何だっけ」と正直失望してしまいました。

 

 まぁ、それもここまで急展開かつ裏切られると思っていなかったので仕方ないかもしれないですが、前半部分はいわゆる「普通の小説」過ぎるため、前半で読むのをやめてしまうひとがいそう、というのがほぼ唯一の残念ポイントです。

 これから読む人はぜひ、しっかりと最後まで読んでもらいたいですね。

 

 

 それと内容以外にもうひとつ残念ポイントが。

それはこの年の本屋大賞辻村深月さんの『かがみの孤城』であったことです。

 例年、本屋大賞の大賞作はおおよそ300点代後半~400点代前半、高くても500点代前半だったのですが、2018年は651点というぶっちぎりの点数をたたき出しています。いや、恐ろしすぎる……。

 これが無かったら確実にもっと注目されていた作品であると思うし、だからこそ残念な点でもあります。

 

 

 といっても残念ポイントはそれぐらいですかね。

 見どころでも述べたように、後半の「裏切り」の秀逸さ、構成力は素晴らしく、内容自体も申し分ないぐらいに面白かったです。

 また、研修医の碓氷のピュアな恋愛も楽しめる一つの要素ではないでしょうか?

 

 総評は以上です。気になった方がいましたら、ぜひとも読んでみてください。

 

 

 

 〈書籍〉

 

 知念実希人 『崩れる脳を抱きしめて』 実業之日本社 2017年

 

 

崩れる脳を抱きしめて

崩れる脳を抱きしめて

 

 

【あらすじ・見どころ】『旅猫リポート』 有川浩

 

 

 これは一匹と一人の最初で最後の旅。

 僕とサトルはずっとずっと相棒だった。これまでもこれからも。

  

 

 

 

 

 

 〈あらすじ〉

 

 

 運命は大いに僕に痛かった。いつもなら余裕で逃げ切れるはずなのに、不運にもトラックに惹かれてしまった。そんな僕を助けてくれたのは、毎晩僕にカリカリをくれる男だった。すぐさま動物病院に運ばれ、治るまでの2か月間は彼の家で過ごすことになった。野良でありたい僕であったが、家を出ようとすると彼・ミヤワキサトルが悲しそうな顔をするので、サトルの家に住ませて貰うことにした。

 そして5年が経過した。サトルは猫のルームメイトとしては申し分ない人間あり、僕も人間のルームメイトとして申し分のない猫だった。しかし、まもなくサトルと僕はもう暮らせなくなってしまう。新たな僕のパートナーを探すため、サトルの友人を訪ねる僕とサトルの旅が始まる。

 

 

 

 

 

 

〈見どころ〉

 

① 有川浩という人物について

 

 初めに有川浩さんについて触れたいと思います。このかた、デビュー当初はSF・ミリタリージャンルの小説を多く発行しており、自衛隊三部作塩の街』『空の中』『海の底』や『図書館戦争』などが代表作としてあります。歴史小説や戦争関連の小説ではなく、SFと軍事要素を組み合わせるというなかなか珍しい作者さんであります。特殊なジャンルを選択するからといって、そればかりに特化しているのかというと、そうではありません。恋愛・日常・仕事と様々なことをテーマに掲げ、主人公もOLや大学生、県職員と多岐に渡ります。これらのテーマや主人公は一般的かと思うかもしれませんが、SF・ミリタリーという特殊ジャンルを採択すると考えれば、その振り幅はかなり大きいと考えられますね。そういうわけで、有川浩はかなりのオールラウンダーなのです。

 

 毎回色味が異なる小説を書くので、この作品だけではなく他の作品に触れてみるのも面白いと思います。哲学系の小説やホラー系だと「色」でみるとかなり寄ってしまうのですが、彼女の場合は多彩な表現と引き出しを持っているのでそこが魅力的かなと思います。

 

② 過去とこれからをつなぐ物語

 

 ここで注目してもらい点は、有川さんの作るキャラクターです。それだけ振り幅があるにもかかわらず、きちんとキャラが構築されています。もともとSFを書いていただけあって、各登場人物の歴史が作りこまれています。

 

 今回の主人公は猫のナナと社会人のサトシ。ナナとサトルの旅、そしてサトルの過去とこれからを中心として描かれます。

 まず見るべきところは、猫のナナが主人公であるという点でしょう。食べ物、景色、感性。すべてが人間と異なります。人間にとって当たり前であるようなこと、例えば海だって一層大きく見えるし、においだって敏感です。そんな視点の違いに注目して見ると面白いですね。

 

 

 

 

 

 

③ サトシとその友人たち

 

 

 もう一つ注目していただきたい点は、物語の中枢を担う、もうひとりの主人公・サトルについて一人称で語られることがないということです。実はこれ、読み終わってから気づいたんですよね。途中まで全然気づくことなかったです(笑)。では、「サトル」という人間は何故に主人公なのか。それは、ナナと友人によって「サトル」という人物が一番語られているからです。

 

 友人というのは、ナナの引き取り手を探すため、全国各地にいるサトシの元クラスメイトの事です。その友人たちがサトシとの思い出を振り返ることで、昔を懐かしむ、あるいは今これからの話をするという内容になっています。

 この友人によって語られる「サトシ」という人物。これがなかなかに強い人物なんですよね。回想で描かれる「サトル」は積極的に友達を作りにいったり、運動もできて、そして何より優しい。とにかくに思いやりを持つ人物で、性格としては完璧ではないかと思うほどに。加えて壮絶な人生を歩んでいるのに、それを微塵も感じさせないような毅然な態度。とにかく精神力が凄まじくある。

 対して、友人たちはサトルほど強くはありません。学生時代の友人たちはそれぞれ、内向的でなかなか前に進めなかったり、強く振舞おうと虚勢を張っていたり、妬み嫉みから保身に逃げたり。それなのに完璧に近いサトルという人物が近くにいる。だからこそ、一層自分のみじめな姿が映し出されてしまう。正しすぎるが故に友人たちが苦しむ姿が描かれています。

 

 その対比というか、人間関係がなかなか巧妙なんですよね。これ本当に女性作家が書いたのかと思うほどの出来。ここまで男性の恋愛感情を描ける女性作家さんは少ないと思います。

 

 兎にも角にも、ごちゃごちゃした人間関係が成長していく様を見たいという方にはおススメできます。

 

④ サトルとナナ

 

 人間と猫。この一人と一匹の関係がほっこりしていて、かつ深いストーリーが添加されます。

 ナナはサトルの話すことが理解できるけれど、サトルはナナの話すことが理解できない。しかし、サトルとナナはまるで通じるがごとく、息ピッタリで本当の相棒なんだなということがビシビシ伝わってきます。

 

 そして、ナナは当初クールでスタイリッシュな感じで振舞っていました。そのことを忘れずに読み進めていくと、二人の関係がより伝わるかな?と思いました。

 

 

 

 

 

 

〈総評〉

 

 正直に言おう。柄にもなく泣いてしまった。途中からもう泣く準備ができていたがラストの畳みかけはずるい。もう泣くしかないじゃんこれは。本で泣いたのなんか人生で二回目だよ。一回目は『僕は明日、昨日の君とデートする』でした。でもあれは感動物と聞いていたので少しは準備できていたけれど、これは聞いていない。まさに青天の霹靂。

 

 作品としての出来は相当。「サトル」という人間を様々な人が客観的に見ていくという方式も新鮮で楽しめたし、「サトル」という人間を通して変わっていく人々というのも見ていて面白かったです。

 そして、ナナとサトルの最初で最後の旅行。楽しそうであり、一方で悲しい出来事でもある。この時間が永遠に続けばな、という晴れやかながらもしんみりした雰囲気が描かれていて良かったかな。

 

 そこで個人的な評価は92点としたいと思います。もっといろいろ小説読んでみて、それでも良かったら点数上げてしまうかも……。これはぜひともおすすめしたい1冊ですね。

 

 今日もここまでご覧いただきありがとうございました。それではまた明日。

 

 

〈書籍〉

 

 有川浩 『旅猫リポート』(2012) 文藝春秋講談社

 

 

旅猫リポート (講談社文庫)

旅猫リポート (講談社文庫)

 

 

 

『宇宙よりも遠い場所』 制作陣は視聴者をバカにしている

 

 

 

 前回、前々回と、『宇宙よりも遠い場所』の感想をまとめてきましたが、ここでいよいよ作品全体を通した批評をしていきたいと思います。

 

 各話それぞれの感想というのは記事でまとめていますのでそちらから。

 特に〈まえがき〉部分は読んでからこの記事を見るようにしてください。

 

honnosusume.hatenablog.com

honnosusume.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

〈批評〉

 

 

① 目的と終着点について

 

 

 物語の基本は「行って帰ってくる」という点である。一部の恋愛物を除き、冒険にしても、旅行にしても、スポーツにしても、基本はこの「行って帰ってくる」という過程を挟む。その目的・設定が魔王なのか、観光地なのか、大会なのかは異なるがいずれも「目的・設定」があって、その「終着点」を目指すのである。

 

 しかしながら、この作品は「終着点」をはじめに設定してから「目的」を設定しているような気がしてならないのである。

 例えばドラゴンクエストなどであれば、「世界平和のために魔王を倒す」という目的があって「魔王の城」という「終着点」を目指すのである。

 

 これは私の予想ではあるが、一方この作品では「南極」という場所を女子高生が目指したら面白いよねという構想の下、「母が行方不明になった場所を訪れる」という目的を設定したのではないかと考えています。

 この大枠に限らず各話の至る所で、「こういう絵・こういう展開が欲しい」という「終着点」を定めてから、「キャラクターにこんなこと言わせよう・行動させよう」とか「こういう設定にしちゃえ」など「目的」を決める手法を取っていると私は考えています。

 

 その理由として、前回の〈感想〉で再三述べている、観測隊らしからぬ行動ばあかりを取っているからです。

 例えば、ヒナタがパスポートを失くしたとき。これは「ヒナタとシラセの友情を深めたい」という「終着点」を定めたうえで、「じゃあパスポートをなくすというストーリーにしよう」と二人がもめて仲直りをするため、ヒナタがパスポートを失くすという「設定」を組み込んだと考えられます。こうすると結構自然なんですよ。少なくとも、「南極観測隊という一大プロジェクトに参加するの女子高生がパスポートを失くし、挙句の果てに失くしてもへらへらしている」ということよりかは自然ではないでしょうか?

 

 ユヅキの誕生日ケーキも「4人で仲良く祝おう」という「終着点」にもっていくため、どうやって辻褄合わせるか考えてつくられたように見えたし、内地に行って貴子のパソコンを見つけたときも「4人で母の遺品を見つけた」という感動的なストーリーに仕立て上げるためそういう「終着点」を定めているような気がします。あくまで私の考えですが、そういった意図がビンビンと伝わってきます。

 

 

 ただ、こうなった原因というのも推測出来て、これは絵の美しさを押し出すためと考えられます。

 とにかく、絵がきれい。これがこの作品の最大の長所。この麗美な絵を見せるためのコンテンツに近いと言えます。

 そのため、こういう風景を描きたいとなったらそれに合わせたストーリーを作成する必要があります。「この絵を描きたい」という「終着点」に向かうために様々な「設定」を付け足した、「イラストのために後付けされたストーリー」ともいえるでしょう。

  つまり、この作品においてストーリーはどうでもいいのです。あくまで必要なのは「設定」であり「綿密なストーリー」ではなかったと、私は考えています。

 

 また4人の主人公についても同様のことが言えます。直情的なキャラクターであれば、○○ならこう動くとキャラクター先行で、結果はそのキャラクターに依存する、というパターンがあります。直情的な主人公が思わず殴ったとかだとイメージが付きやすいでしょう。

 しかし、この作品は「結果」が決まっていて、そのために各キャラクターが動かされ、しゃべらされています。例えるなら制作陣のマリオネット。ただの操り人形にされてしまっています。魂がこもっていないキャラだからこそ、私はそこまで感情移入できなかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

② 設定として消費されてしまう彼女ら

 

 綺麗なイラストを多くの人に見てもらいたい。それはわかります。正直、私は感動さえしました。

 

 では、私が何に納得できていないかというと、ここに登場するすべてがコンテンツとしてしか見なされておらず、疲弊されるまで消費されていることについてです。

 

 

 少し離れますが、マーケティングの分野において「ブランド」という考え方は非常に大切です。ブランド価値を保つために以前は小規模小売価格というものが多く流行していました。

 例えば、「Gucci」というブランドがありますが、このブランドの商品は有名ですよね。持っていればお金持ちという代表的な例ではないでしょうか?

 しかしこの「Gucci」の商品が100円均一ショップで、しかも大量に販売されていたらどうでしょうか?消費者はそんな「Gucci」に価値を見出せるのでしょうか?そうなったらブランドとしても価値はほとんどなくなるでしょう。また、「Gucci」が好きで尊敬する人がいたら、それは悲しむでしょう。「俺がこんなに好きであったブランドが、こんなことをしてしまうなんて」と。

 

 この「よりもい」でも同じようなことが起きています。主に南極観測隊についてです。このアニメの描きかたのせいで南極観測隊の価値は著しく下がったと考えています。

 

 3年前、行方不明者を出したにもかかわらず徹底されることのない安全管理。隊員の南極に対する知識が不十分。南極に向かうための訓練不足。

 これを女子高生のせいといえばそれまでかもしれませんが、そんな女子高生を連れていくことを承諾している南極隊に問題があるとみています。

 

 

 加えて、南極の過酷さがほんとんど描かれていません。南極って意外と何もないといった描写もなく、生活の難しさを描くわけでもなく、ただ話が進んでいきました。

 

  

  これを観ていた私は、「南極ってその程度でいけるんだ」と拍子抜け。なぜなら特に勉強も運動もしていない彼女らが悠々と南極で生活したから。さらには、何もトラブルなくすごすし、苦労話もほぼゼロ。南極も観測隊もその程度なのかと。

 どうせなら、過酷さを描くか、意外と普通の生活と変わらないのかはっきりとコメントを残してほしかったですね。南極をテーマに掲げているのに、その南極での生活らしい描写がないのは、なんだか合理的ではありません。

  第2話でシラセが「数分の遅れが生死にかかわる」といっていたのに、結局南極に対しての敬意はなく、「女子高生が南極行ったら視聴率取れそう」とか軽い理由で南極という場所が採択されたのではないでしょうか?

 実際に南極で功績を残した人、今の南極で研究している人が不憫で仕方ないです。

 

 もう少し「南極」である理由をつくれなかったのかなと私は思います。

 

 

 

 

③ 彼女らは南極で何を学んだのか

 

 先ほどの話にもつながりますが、彼女らは「終着点」を南極にしていましただ、その「目的」は一体何だったのでしょうか?そして、長い道のりを経て、彼女らは何を得たのでしょうか?

 

 まず、彼女らが南極に向かうきっかけを振り返っていきたいと思います。

 

 シラセは母の遺品を探すため、キマリはここじゃないどこかに行きたいため、ヒナタは受験が始まる前に大きいことをしたかったため、ユヅキは仕事だったため。

 こう見るとシラセ以外きちんとした目標があったわけではないんですよね。

 

 最終的にシラセは「ざまーみろ」のシーンから読み取れるように、見返すことがメインになっており、母の思いも薄れています。さらに、遺品探しといっても、それは完全に私的なもの。母の研究を引き継ぐとかではないので、別に南極に仕事としていく必要はなかったのです。

 

 ここまで見ると、ただの南極旅行なんですよね。思い出作りの一環というか、女子高生が遊んで大きいことをした気になるだけの娯楽。

 南極に向かう途中、そして到着してから何か明確な目標が定まるのかと思いきや、それもなく。最終的にはぼんやりとしたまま南極を訪れ、なんとなく帰還する。ただそれだけ。4人の友情を深める材料として観測隊は利用されたことに過ぎないのです。

 

 何度も似たようなことを書きますが、「女子高生が極地に行くことは、なんだか大変そうだし世間に受けるでしょ」と視聴者と南極観測隊をコケにしたアニメとしか私は見ることができません。

 

 ここで、本題に戻ります。

 「彼女らは南極で何を学んだのか」

 私の見解では、「安っぽい友情」です。

 南極でしか得られない特別な何かはないとみています。

 

 例えば、団体行動や規律は多少学ぶことができたでしょう。しかし、これまでの〈感想〉で述べている通り、それを軸に行動していたわけではなく、むしろ勉強不足・管理不足を露呈しているだけに過ぎません。

 また、南極の調査で何か学んだかといえば、それはないでしょう。専門家の中にド素人がいたところで描写されていたように雑用ぐらいしかすることがなく、実際に調査をしていたとしても上記の理由からろくに勉強していない彼女らが専門用語等を理解できるはずがないというのは自明であろう。

 そういうわけで、「南極」に行くことで何かをつかんだとは到底言い難い。

 もっと言うと、観測隊は南極旅行のために4人を連れて行ったと同義であるのです。

 

 もっとも、こういう言い方をしましたが、これは非常にナンセンスなこと。ただの粗探し。

 なぜなら、初めから「こういう目標のために南極を目指す女子高生」を描くつもりはないからです。シラセが遺品探しをするという目的さえ利用し、あまつさえその目的すら棄却しているのだから間違いないと思います。やはり、利用するだけの設定であるのです。

 

 

 

〈結論〉

 

 結局何が言いたいのかというと、この作品はコンテンツのために視聴者を利用しているということです。

 

 かわいい女子高生を主人公にし、お涙ちょうだいと言わんばかりの安易な人間関係を組み込み、盛り上がりそうな南極というテーマにし、ドタバタコメディで誤魔化す。そうすれば視聴者は喜ぶだろうとこちらを見下しているアニメ。 私はそう思います。

 

  アニメをつくるために、莫大な労力がかかるということは予想できます。しかし、だからといって「仕事」は浪費されるためだけに存在するわけではありません。設定やコンテンツではありません。

 少しでも多くの作品が、監督や制作陣の「描きたい」という熱量によって構築され、生きたキャラクターが誕生することを願っています。

 

 

 

 ここまで振り返ってみてどうだったでしょうか?

 もう一度、「よりもい」を見てみるのもいいと思います。まだ見ていない人はこれを機に見るということもいいと思います。

 かなり長文になってしまいましたが、以上で「よりもい」の批評を終えたいと思います。これまで付き合ってくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

『宇宙よりも遠い場所』期待していたものとかけ離れすぎていた

 

 こんにちは、ミヤムラです。

 今回は前回の続きということで、また『宇宙よりも遠い場所』の批評を書いていきます。

 

 

 

 前回の記事を見ていない方はこちらから。

 読んでいない方、少なくとも〈はじめに〉という所は絶対に読んでください。これから批評するうえで留めておきたい点がいくつかあるので、読んでからでないと誤解されかねない点がいくつもあるので。

 

honnosusume.hatenablog.com

 

 

 それでは今回も感想をずらずら書き連ねていきたいと思います。

 

 

 批評だけ見たいという方は下の記事から↓

 

honnosusume.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈初めて見たときの感想〉

 

〈第7話〉

 

 

 ようやくオーストラリアに辿り着いた4人。

 ここでもシラセがやってしまうんですよね。リポートの練習を始める4人。シラセの性格とか人柄を考慮すると仕方ないのかもしれませんが、なかなかにインタビューがひどすぎる。いや、もっと練習して来いよ。何のために南極に行くんだよ。 取材に行くのにそれはないだろ、というひどさ。この人たち、南極に遊びに行くのかな?

 

 

 そしてここでさらなる疑問。何故ディレクターがいないのか。これ結構な疑問なんですよね。

 女子高生4人を中心とするから仕方ないのかもしれないけど、にしても不自然すぎるというか。設定といえば設定だけど、限度があるというか。

 

 私はテレビ局でアルバイトをしているのですが、ロケの際にはディレクターさんが同行するのが一般的です。

 素人にはテレビっぽい質問も、テレビっぽい構図もわからないのがふつう。南極という場所に行くならばなおさら必要なはず。機材の管理などを含めて、ディレクターという大きな存在がいないのは納得できませんね。素人といってもYouTuberなどであればまだわかりますが、所詮彼女らはただのド素人。

 南極に行くという一大プロジェクトなんだから同行させるべきというのは当然では……?そんな女子高生4人同行させるのであれば、それぐらいの余裕あるでしょ……。 

 

 

 

 

 しかし、このあたりからがこの作品の見せ場、南極への旅路と生活を描くところ。目的地が段々と近づき、作品としてボルテージはさらにあげていくはず。

 8割惰性でみていますが、わずかな期待を胸に続きを見ることに。

 

 

 

 

 

〈第8話〉

 

 

 これはスタート地点のオーストラリアを出発したあとのこと。

 ここでシラセのリポート本番が描かれるわけですが、もうひどすぎる。これは寸劇なの?漫才なの?といレベル。これがギャグメインのアニメならわかりますが、これは仕事でやっているのでは?。彼女らは遊びで南極に行くのか、ということを強く押し出され、結構ショックでしたね。南極に行くためならシラセは何でもすると思っていたから。きちんとしたリポートも練習とか頑張ると思っていただけさらにショックが増加しましたね。

 

 もうこの作品においてシラセはだめだと確信し回ですね。せめてそんなにひどいならディレクターとかつけようよ。

 

 

  

 

 そして、南極に向かう準備として、船上での運動が始まります。

  しかし、すぐに4人はばててしまいます。いやいや、体力なさすぎ。南極に行くためになんの準備もしてないのか?隊長とか大人に何も言われていないのか?遊びで南極行くんじゃないんだぞ。南極での活動は過酷ではないのか。

 そんなこともつゆ知らず、キマリはすぐに弱音を吐きます。南極に行きたいのなら、少しぐらい努か力をしろよ。なんか仕事で南極に行き人たちが懸命に努力しているのに、こんな人たちが南極に行って大丈夫か?

 

 

 船は次第に南極に近づき、船旅は過酷さを増していきます。荒波に飲まれ、4人は船酔いに悩まされます。

 

 しかしここで、かなえさんが4人を心配して声を掛けます。というのも、南極に向かいさい海流が速すぎて船が大きく傾くらしいのです。そのため、部屋に置いてあるものは固定しなくてはいけないということを知らせてくれました。

 

 いやこれもさあ、あらかじめ知るべきことでしょ。パソコンとか普通においていたけど、船揺れすぎたらさすがに壊れるよ。なんでそこまで知識がないんだ。これは最低限の知識だと思うんだけど。

 

 夜になっても船酔いのせいで寝付けない4人は、次第にしっかり航海できるか不安になってきます。

  ユヅキは屈強な船員たちを見て「なれるんですか、あんなふうに」と不安をこぼします。船酔いだけはしょうがないと思うし、不安になるのもうなずけます。

 

 

 「がんばるしかないでしょ、他に選択肢はないんだから」と答えるシラセ。そうだ。南極観測隊として頑張るべきなんだよ君たちは。目の前のことを一つずつこなすべきなんだ。ようやくここで4人の成長が描かれるのかと、一気に期待が膨らみます。とその瞬間。

 

 「そうじゃないよ」とキマリが話します。(なんだなんだ、何があるんだ)

 ワクワク感と不安感が混ざり合った感情。ここからやはり見せ場が来るんだ。

 「選択肢はずっとあったよ、でも選んだんだよ、ここを」(おうおう、そうだな……)

 「選んだんだよ、自分で」(良いこと言いうじゃん)

 そして感動的なBGMがかかり始める。

 「よく言った!」とヒナタ。ヒナタが不意に立ち上がるので、ユヅキがどこに行くのかと尋ねる。

 「トイレ」

 

 

 は?????なんだこれ??

 なにこの生産性がない会話。何がしたかったんだよこのシーンは。確かに選んだのは君たちでしょうが。でも選んだくせして、この船の感局に何一つ適応できていないじゃん。船酔いは仕方ないとしても、運動能力もない、船のルールについても認識不足。

「(自分たちが努力するという)選択肢はずっとあったよ。でも(それなのにこんな努力と準備が不足した)道を選んだんだよここを。(だからこそ今私たちは変わらなきゃいけない)」

 そんな意味でキマリはいったのかと思ったら全く関係ない。しかもこの名シーンにもなり得た最後がトイレオチって。どんな3流ドラマなんですか。結局さっきのシーンではなにがしたかったんだ。ただ「船のみんな強~い。でも私たちはこの船乗っちゃったんだし、我慢するしかないよね。乗るって選択したんだもん。あ、もちろん努力はしたくな~い」というニュアンスに聞こえます。

 そして最終的にはトイレオチ。なんだこれ。なんだこの茶番よりもひどい話。

 ここまでひどい展開になるとは、感心すら覚えますね。

 

 

 

 さらにツッコミどころが。トイレに行った後、少しかけあいがあり、キマリが「終わった後にはこの旅が楽しいものだって絶対思えるよ」というセリフの後、またBGMモード。

 直後、ユヅキがこう話します。「ちょっと外行ってみたいですね」

 「お、それいいな」「私も見たい」と賛同するみんな。

 開けるとそりゃ大荒れの海。

 「真っ暗ですね」「こんな海を越えていくんだね」「嵐と荒波に守られた氷の大陸」「確かにそこに行くって選んだんだよな」

 

 

 いやこんな感動的に盛り上がるものじゃないでしょ……。これ大丈夫なのか?外は一面荒波。天気ももちろん悪い。それなのに外にライフジャケットなしで飛び出す。これ管理的に大丈夫なのか?3年前に行方不明者を出している団体なんだから安全管理は徹底するべきでしょ。揺れが強いせいで頭打ったり、海に落ちたり十分にあり得る状態でした。こんな半端な覚悟のひとたち、やっぱり連れていくべきではないと思いました。う~む、やっぱり納得ができないな……。

 

 

〈第9話〉

 

 ここでは観測隊隊長の吟さんとシラセの2人の物語が展開されます。

 二人の過去、そして貴子の過去が描かれている、「よりもい」の中では一番まともだと感じた回かな。シラセが南極に行った意義をようやく感じられ、さらには深い部分まで突っ込んだ人間ドラマとしても良い雰囲気を感じました。

 

 

 でもそういう期待できた回であっただけに、最後のひどさが一層目立ちます。

 ここではようやく南極に到着することができます。待ちに待った南極。シラセにとってはどれほど望んだかわからない、母の思い出の場所。その場所にようやく到達することができました。

 

 降り立つことができる場所まで着くや否や、吟隊長はシラセたち4人に降り立つよう勧めます。

 緊張しつつも、せーのと4人でジャンプして同時に南極に降り立ちます。

 良かったなと、みんなが温かい目でシラセを見つめます。そこでシラセが放った一言。「ざまーみろ!」

 「あんたたちがバカにして鼻で笑っても 私は信じた。絶対無理だって裏切られても私は諦めなかった。その結果がこれよ。どう?私は南極についた。ざまーみろざまーみろ、ざまーみろ、ざまーみろ」

 4人でざまーみろ、最後は全員でざまーみろと遠くに言い放ちます。

 

 

 やっぱりシラセはシラセ。ひどかったな。

 これお母さんの遺品を探すという目的だったはず。あと個人的には、お母さんの思い出の地にいくことでシラセが成長するためだと思っていました。

 それなのに、ざまーみろって。お母さんのためとか、お母さんが亡くなった地点を訪れるために南極に行ったのではないのか。それなのに最初に出てきた言葉が「ざまーみろ」って。それは今まで自分をバカにしてきた人たちを見返すために南極にやってきたのか?自分のプライドと商人欲求のために南極を目指したのか。

 なんか目的が思ったのと違ったのが非常にショックでした。

 

 

 

 

 

〈第10話〉

 

 ここでもいろいろと。この回ではユヅキの悩み回です。

 

 「私たち、友達なんですか?」と悩みを爆発させます。まぁ、わからんでもない。芸能界の第一線で活躍しているんだから、そういった悩みを持っていてもおかしくはない。

 

 しかしここで登場するのが「友達誓約書」

 ①私、白石結月とあなたは、友達である、ということを約束してください

 ②この旅が終わったとしても、私たちの友情は絶対に終わらない、と約束してください

 ③どんなに距離が離れていても、私たちは友達であり続けると約束してください

 ④どれだけの時間私と会えなくても、私と友達であり続けると約束してください

 ⑤もしも時間を合わせることができたなら、何があっても必ず会う、と約束してください。 

 

 芸能界にも知り合いいないのかというほどのひどさ。メンヘラとかいうレベルじゃないでしょ……これは狂気すらえかんじるこの誓約書。これ制作するほうも良くこんなキャラ立てするよな。

 

 

 ここで悩むユヅキ対し、キマリが引き合いに出したのはめぐっちゃん。

 どうやらキマリは既読無視されようが何されようがめぐっちゃんに何度もラインを送り付けているらしい。さらにはめぐっちゃんがどんな表情しているかを勝手に想像して。これはキマリもキマリだけど、めぐっちゃんもめぐっちゃん。絶交を言い出した相手によく話ができるなと思うし、言い出された相手によくそこまでグイグイ迫れるよな。

 これも一つの友情の形なのかもしれませんが、一般的な友情とは違うと思います。だからこそ、感情移入ができるひとは少ないのではないでしょうか?これは個人的にですが、このふたりは絶交に関して何も解決していないことから、ちょっとこのやりとりが疑問でしかありませんでした。

 きちんとした仲直りのやり方をした方が共感もっと得られると思うのにな、というのが私の意見です。

 

 

 そしてユヅキが嘆いていた原因の一つでもある誕生日について。ユヅキは今まで友達に誕生日を祝ってもらっていないということを気にしていました。

 キマリ達は遅れながらもユヅキの誕生日をサプライズという形で祝います。その遅れてしまった理由が、「船酔いしてばっかりだったから」

 

 それを理由に一緒に南極向かう友人の誕生日をすっぽかすのか。それは友情じゃないだろ……。本当に誕生日ってこと忘れていたやつじゃ 

 

 

〈第11話〉

 

 これはヒナタ回。ヒナタの高校時代の話がメインになります。

 

 まぁもう嫌になりますね。

 ヒナタの自称友達が中継先に現れてから、ヒナタがイライラし始めます。

 それに対して、キマリとユヅキは全く気付かず。天然キャラというにもほどがある。こいつら本当に友達なのかなと思うほど鈍感、いや無関心。それに気づけないのによく親友と名乗れるのんが不思議でしかない。

 

 

 

 また、シラセと貴子を重ねるシーン。これがしつこいほど描写される。シラセがとある観測地に到着し、基地に報告したとき、周りを見て「チョコレートケーキに囲まれているようだ」と形容するシーン。どうやら母の貴子も同じようなセリフを言っていたらしい。

 なんだか露骨に重ねてくるんですよね。回想シーンとかではなくて「やっぱりあなたと貴子は似ている」と直接伝えて、アピールがすごい。そこまでしなくてもいいじゃんというほど。いくら吟と貴子が親友だとしても、母を亡くした悲しみがあるだろうその娘に対して、執拗に名前を出すというのは倫理的にどうなんでしょうか?故人の名前をそこまで頻繁に出さなくてもなと思いましたね。

  

 

 

 

 

 〈第12話〉

 

 ここはシラセ回。吟隊長に、母・貴子が行方不明になった内地に向かうかと質問されます。それに対してシラセが葛藤するという回。

 

なんで南極に100万円をもってきているの?

 

 シラセが頭の中を整理するとき、当然のように持ってきている100万円。それを数えることでこれまでのことを振り返ります。

 大好きだな100万円。ここまで遠慮なしに現金をかざされるとめまいを起こしそう。もうやっぱりやりすぎオンパレードですね……。

 

 悩んだ末、シラセは内地に向かうことを決意、そして内地にある基地に到達します。 

 母が行方不明になった場所にきたシラセは感傷に浸ります。 そこでキマリ・ヒナタ・ユヅキの3人は貴子の遺品探しを探します・

 「お母さんのものなんてみつかるわけないでしょ?もう3年も前なんだし?」

 そう訴えるの探し続ける3人。その時、貴子のノートパソコンを発見します。

 

 

 

 いや、シラセ。君は母の遺品を探しに来たんじゃないのか?そう第1話で言っていたじゃないか。何で急に諦めたんだ。君にとって母の存在はその程度の問題だったのか……。

 

 そしてなんでパソコンが見つかるわけ?なんで3年もノートパソコンが放置されているわけ?行方不明になったのならちゃんと私物は全部回収しろよ。そうじゃないにしても、データとか入っているかもれしないじゃん。この観測隊、管理ガバガバ過ぎない?どうなんだろ。

 

 

 

 

 

 

〈第13話〉

  いよいよ最終話。特に何もなく話が進んでいきます。ただの南極の日常みたいな。

  観測隊全員で遊んで、シラセが何故か100万円を南極に置いてきて、これからも仲良くいよう、私たちはずっとつながっているよというありきたりな締め方で終わります。

 

 もうそこまでツッコむ気力はないし、アニメの最終話っぽく締めくくれたのでいいんじゃないですかね。

 

 

 

 とまぁここまでが前置きになります。こんなに長々と記すつもりはなかったんですけどね。

 

 しかしながら、こうでもしないときちんとした制作陣に対する批判ができないのです。ようやく、ようやく話すことができます。

 

 次回、「『宇宙よりも遠い場所』が伝えたかったことは何か」という批評を掲載したいと思います。

 それでは、ありがとうございました。

 

 

 

宇宙よりも遠い場所 ファンブック

宇宙よりも遠い場所 ファンブック

 

 

 

 

 

『宇宙よりも遠い場所』どうしても物申したいことが

 

 

 『宇宙よりも遠い場所』、通称よりもい、という作品をご存じでしょうか?

 

 ネットなどで素晴らしいと囃し立てられ、ニューヨークタイムズ紙の「2018年 優れたテレビ番組(THE Best TV Shows of 2018)」の海外番組部門の10作品のひとつにも選出されています。

 

 そんな高評価を受けていたアニメ。「宇宙よりも遠い場所」。それほど言うならば少し気になるなと思い、まずはあらすじを見ることに。

 どうやら女子高生が南極を目指し旅をするというものらしい。珍しい設定の組み合わせに俄然興味が湧きました。いったいどんな話なんだろうって。 

 だって気になりません?普通の女子高生は南極に行く機会なんてまずない。それなのに、どうしてって。個人的興味と高い評価という後押しもあって、視聴することに。

 

 

 

 その感想を一言で言うと、「残念」。あまりに期待しすぎたのか、単純にそういう勢いで視聴してしまったからなのか、期待からの落差が激しかったですね。

 

 でも一番は周りの評価が高かったということが大きな要因かなと思います。見ていくうちに失望のほうが大きくなり、逆になんでネット上でそこまで好評かであったのか、そういった疑問のほうが大きくなりました。

 

 そういう疑念・不信が強すぎたので、今回は「宇宙よりも遠い場所」を1話1話の感想を書き連ねていきたいと思います。

 

 

 どうしても批評だけ見たいという方は下の記事からどうぞ

 

honnosusume.hatenablog.com

 

 

 

〈はじめに〉

 

 まず、留意していただきたいポイントが何点かあります。

 

 一つは、作品全体を否定する気はないといこと。そういうつもりではないということは分かっていただきたいです。

 この作品にも優れているところはあります。特に映像美についてはかなり優れているなと感じました。南極をテーマに掲げていることもあり、風景の透明度が高く、またぼかしも随所に盛り込まれていて、技術力の高さがうかがえました。アニメーションだけでも十分に見る価値はあると感じました。そして、主役4人も水瀬いのり花澤香菜井口裕香早見沙織と名だたる実力派声優がそろっており、安心感すら感じる演技にはもう素晴らしいとしかいいようがないくらいです。

 

 

  もう一つは好きで批判しているわけではないという点です。何も全面的に否定したいわけではなく、普段であれば批判するぐらいならレビューしないというスタンスでした。しかし、この作品に関してはあまりに言いたいことがあるので感想を連ねていきたいと思います。

  その言いたいというのは制作陣に対してです。すべての感想を書き終えてから詳しいことは述べたいと思いますが、問題はストーリーの安易さにあると思います。特に南極と南極観測隊が、大人に消費されるだけのコンテンツとしてしか見られていないという点に憤りを感じました。もうちょっとどうにかすることは出来なかったのかのかということで、今回批評を書こうと決意しました。

 

 そのため、初めの感想では大いに荒れてしまうので、その点は留意していただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

〈あらすじ〉

 

 「青春する」。そう決めてから一年。 キマリこと玉木マリはその目標を実現できないまま高校二年生をむかえてしまっていた。

 ある日、キマリと同じ学校の生徒が駅で封筒を落とすところを目撃する。その中身は現金百万円。そんな大金を手にしてしまったキマリは学校で持ち主を捜索する。その持ち主は「南極」と呼ばれる少女・小淵沢報瀬(こぶちざわ しらせ)であった。彼女は3年前、南極で行方不明になった母・小渕沢貴子の遺品を見つけるため南極を目指していた。

 キマリはシラセに感化されて南極に向かうことを決意する。その資金集めのためバイトを始めたキマリは、南極に興味を持ったバイト先の三宅ヒナタと3人で南極を目指す。

 

 しかし当然ながら南極に行きチャンスというのは簡単にはやってこない。そこに南極に派遣予定の女優・白石ユヅキがやってくる。彼女やマネージャーである母と話すうちに南極に行く権利をどうにか手に入れる。

 

 4人で目指す南極。果たしてそこに待ち受けるのは何か。友情と夢を描いたハートフルストーリー。

 

 

 

 

〈感想〉

 

 

  

 講評とかは後にまとめるとして、 まずは1話1話の感想を述べていきたいと思います。初見ながらいろいろなことを思いながら見ていたので、それをまとめていきたいと思います。

 

(※注意  結構な感じでディスりを入れてしまっています。これは今回批評するうえで必要な感想だと思っているので、そういうものが無理な方は見ないようにお願いします。またネタバレも含みますので、そこも注意してください。あくまで一個人の意見です。参考にするしない、納得するしないは視聴者側に一任します。)

 

 

 

 

〈第1話〉

 

 

 まずキマリとシラセが出会うシーン。

 階段を駆け上がるキマリを、走るシラセが追い抜きます。その際、シラセの鞄から封筒が落ちます。何とそこに入っていたのは100万円。

 

 いやいやシラセちゃん何やってるの?なんで100万円を鞄に携帯してるの?

 うっかりしちゃった、テヘ。なんてことじゃすまない金額なのに……。この導入の時点で少し違和感を覚えたのですが、設定ということでまずは受け入れることに。物語動かすため人は仕方がないのかな。そうやって自分を納得させて第一話を見終えました。第1話としては特にそこまでひどいとは感じませんでした。 

 

〈第2話〉

 

 キマリとシラセは本気で南極を目指そうと力を入れます。しかし、親友のめぐっちゃんは本当に南極に行けるのかと心配しています。 

 正直ここが大きな壁だと感じていました。どうやって普通の女子高生がどうやって南極にいくのだろうと。

 

 そんなキマリに対してシラセは「知り合いが観測隊にいるから」「小淵沢貴子の娘だから」の1点張り。

 いや、それだけで本当にそれだけで行けるのか?お金が必要というのはわかるけど、南極に行く手段を探したほうがいいのでは、という疑問。

 

  結局具体的な手段は示さず、キマリをはぐらかして終わります。それってどうなのかな。シラセに対する不信感が募ってきました。

 

 そして、心配するキマリに対しては逆ギレ。一緒に行ってくれるのかが心配というのはわかるけど、手段を明らかにしなければみんなついてこないよ。そりゃ誰だって心配なるよ。

 本人は「ちゃんと作戦もある」とは言うけど、本当に大丈夫なのか。今までの動向見てると結構不安なのだけど……。

 

 

 その後突然向かう歌舞伎町。シラセの作戦は南極観測隊員をどうにか(主に色仕掛け)で誘い出して説得するという物だったらしい。

 ・・・・・・。何それ。作戦なの?

 歌舞伎町の数ある酒場からどうやって観測隊員が集まる居酒屋を特定できたのかはとりあえず目をつぶろう。

 にしても強引すぎるよこれ。なんだこの展開。南極観測という規模の大きさに対して直談判でどうにかなると思っているシラセの甘さ。人間性を疑ってしまいますね。

 

 ここでシラセとキマリに頼み、自分では全く動こうとしないシラセ。もうここまで来るとあきれて言葉が出ませんね。南極に一番行きたいのは君じゃないのか?それなのに何も行動しないのは違うだろよ。

 

 

 そしてシラセは観測隊員に顔がバレてるため、見つかると同時に追いかけられてしまいます。3人は散り散りに歌舞伎町を全速力で逃げ回ります。

 いや、そこまでしなくてもよくない???そんな全速力で逃げなくてもいいでしょ?

 「そんなに息きらすまで走らなくても」と三人を捕まえた観測隊員のかなえさんは言いますが、じゃああなたもそんな本気で追いかけなくてもいいでしょ。

  

 何がしたい回なんだろうと思いましたね。別に最初から話せばよかったのに。

 ここまで内容が内容なだけ先行きが不安になってしまいました。

 

 

 

 

 

〈第3話〉

 

 ここでは第2話の振り返りから。 

「あんな無茶な作戦押し付けておいてどの口がおかしい」とシラセの前回の作戦にヒナタとキマリは怒ります。そりゃそうだよな。

 南極という一大プロジェクトに携わろうと誘われて、自分も行く気になったのに、その手法が色仕掛けなんて。私が本人だったら間違いなくブチ切れますね。

 

 

 そこでとあるニュースが飛び込んできます。白石ユヅキという芸能人が南極にいくというもの。それを知ったシラセはさっそく事務所を調べ、「ここに電話かけて」とキマリとヒナタに命令します。

 この3話の時点でシラセの評価は最悪ですね。何もしないくせに、命令ばかり。これは批判されても仕方ないでしょう。自分で全く行動しないのは人間的にどうなのだか。

 

 そこに突然やってくる白石ユヅキ。まさかの本人が登場してきてしまいますね。彼女は南極に行く権利を受け渡すためにやったきました。どうやらよっぽど南極に行きたくないらしくて、歌舞伎町で見かけたシラセたちにどうにか権利を渡したい。

 

 事務所の許可なく、アポもなく突然。それは芸能人としてどうなんでしょうか。なんか登場人物みんながやばいんですよね。

 南極に行きたくないのは分かる気もするけど、なんというか無茶すぎるというか。

 南極に行きたくないという彼女にとって、それは理に叶った行動のように見えますが、流れが自然すぎてかえって不気味。ストーカーですかね。

 

 

 そして、ユヅキを追いかけて母でマネージャーの民子がやってきます。何故母も家を知っている……。そしてなぜ母は娘がシラセの家に行ったことを知っている……。なんかもう世界観が恐ろしすぎるよ。そりゃあ、めぐっちゃんも不安になるよね、こんな人たちがそばにいたら。

 

 

〈第4話〉

 

 第3話で紆余曲折あり、4人で南極に行けることが決定しました。そこでこの回では南極に向かうための準備が始まります。

 

 まずは親の許可が必要になります。南極に未成年を連れていくのだから当然かな。しかし親の同意もなくハンコを押してしまうキマリ。当然のごとく叱られます。まあ当然。キマリは何を考えているのでしょう……。

 

 

 また、南極に行くために合宿が始まります。やはり南極。死と隣り合わせの極地に行くためには経験と知識、そして体力も必要なのだろう。ようやく観測隊っぽくなってきたと少しワクワク度が高まりました。

 

 ここで実践ということで計測を始めます。ここでアニメを進めるうえで解説役が必要ということは分かるのですが、それが多すぎるあまり、この人たちちゃんと勉強したのかなという不安ばかりが高まります。

 「○○ってなんだっけ?」「△△じゃなかった?」みたいなやりとりばかり。南極にいくというのに何も知識がないのでは?大丈夫かな。

 

  

〈第5話〉

 

 いよいよ南極への出発を目前に控えたころ。

 荷造りをするキマリは、昔めぐっちゃんに貸してもらったゲームを見つけるというめぐっちゃん回になります。

 

 

 ここではキマリとめぐっちゃんの対立が描かれています。

 めぐみは変わっていくキマリと自分を見比べて、劣等感に蝕まれます。

 一方のキマリはそんなめぐみの心情に全く気付かず生活。

 そんな不満が積もり積もり出発当日、めぐっちゃんがキマリに絶交すると打ち明けます。

 

 キマリは自分と似ていた存在と思っていた。キマリの慌てた性格を冷静に俯瞰することでめぐっちゃんはキマリを下に見ていた。

 

 しかし、シラセと出会うことでキマリはだんだんと変わっていきます。自分と同じだと思っていた、自分だけのものと思っていた人物が離れていくのは悲しいですね。そんな自分ではどうにもならないキマリの行動・感情に対し嫉妬してしまいます。

 その結果、今までの間接的にキマリや「南極」に悪意を向けさせてしまいます。

 

 これはなかなかに重いシーン。人間の汚い部分を感じさせる、ドラマとしては非常にいいシーンだと思います。

 汚い部分は誰にでもあるはずで、だからこそその解決策や終着点は問題になるところだと思います。 めぐっちゃんの場合、自分の弱さを認めることができず、けれどそんな自分自身を変えることができず、悩み・葛藤してどうしようもなくなってキマリのもとを訪れます。

 

 どうにか出した助け船。ここでキマリがなんて答えるのか、かなり重要だと思っていました。

 

 

 そこでキマリが放った一言。

 「一緒に南極いこう」。

 そして、一人語りが始まります。『私たちは踏み出す。今まで頼りにしていたものが何もない世界に。』

  「絶好無効」 キマリはめぐっちゃんにそれだけ言うと、空港に向かいます。

 

 

 は?????は????

 

 何だこれ。何だこれ?

 ちょっと思わず2回言ってしまった。

 いやいやいや、なんだこれと。このシーンは何だと。このシーンのせいで、もうこのアニメは向いていないなと思いました。この瞬間、一番してはいけないことをキマリはしたと思いました。

 

 

 さんざん親友を放置しておいて、そんなセリフはないだろと憤りすら感じてしまいました。しかも、めぐっちゃんがの痛切な思いをキマリに向けたにもかかわらず、当のキマリから出てきた言葉は「一緒に南極に行こう」。

 は??? めぐっちゃんはそんなキマリが羨ましくて、けどそんなキマリになれない矛盾に苛まれていたのに、よりにもよって「南極に行こう」なんて言葉をかけるか、普通。皮肉にもほどがないか?

 親友が奪われた居場所に勧誘されたひとのことは全く考えていない。なんか淡泊というか、無責任というか。これが親友だったのかなと言えるほどの関係。なんで南極に行こうなんて誘ったんだよ。なんだか空港に急いで向かうために適当に流しただけとしか見えませんでしたね。

 「絶好無効」とだけ言って逃げるのはずるいというかナンセンスというか。良い逃げばっかりというキマリの大雑把で無頓着な性格を体現してる。その悪い部分が前面に出たという最悪な回でしたね。正直胸糞悪かったです。

 

  いやでも、期待はほとんど期待していないけどこれが伏線となり、最終話あたりでうまく回収する。そんな淡い希望を胸に見続けることにしました。

 

 

 

 

 

 

〈第6話〉 

 

 

 出発地であるオーストラリアに向かうため、中継地としてシンガポールを訪れます。 

  そこで、ヒナタがパスポートを無くすという事件を起こします。一度自分の荷物を確認しますが見つからず、そのまま三人と遊びに出掛けます。

 

  いや、探せよ!早く警察か大使館に連絡しろよ!パスポート無かったらどこも行けないじゃん。何でそのまま過ごしてるの??

 

   その後、パスポートがないことがバレて探してみるも、見つからず……。パスポートを再発行しようとするも、翌日が日曜日であるため、乗る予定だった飛行機に間に合わないという事実。

 そんなことになるのだから、初めから皆に知らせて再発行してもらうとか、いくらでも手法があるのに。

 

  これは大きなプロジェクトにかかわる人としてどうなの、という疑問がわきました。高校生といえど、参加するならばそれなりの責任は必要だと思います。創作だからとかほのぼのアニメだからと言われてしまえばそれまでですが、正直そこが気になりすぎて話が全然入ってきませんでした。 

 

 この作品に申したい部分はここの部分。作品を見続けるうちに、こんな女子高生を乗せるこの観測隊は大丈夫かと心配をしてしまいます。口先だけで実際の気持ちが弱すぎる。プロ意識が足りない。「ほう・れん・そう」すらできない輩が南極で共同生活ができるとは到底思えません。先見の明が足りなすぎる。

 

  そんなフワッとした浅はかな考えしか持たないヒナタに対し、シラセは次々と突っ込みます。それは当然ですよね。それだけの大事態。すぐさま解決するおが一般人の行動であり、規範。

 ヒナタはそんなシラセに対し「ツッコミ鋭っ!」とします。は???なんだこいつ。南極に行けなくなったり、予定がすべて狂ったら全部お前のせいになるんだぞ???計画どうするんだよ。到着日はふつう守るだろ。

 

 

 そして、到着日を変えるしかないという話になりました。三人は到着日を変えるという雰囲気になりますが、シラセはそれに反対。いや、それはそうだろ。約束を守れ。

 そして、それを探している時点でまずは連絡をしろ。上の人はどれだけ苦労すると思っているんだ。ほんとに浅はか。何も考えていないことがわかるりますね。

  ここまでくると、もうそういう目線でしか見れなくなってしまいました。

 

 もう、この回がきっかけですね。もう怒りしか感じません。なんだろう、やはり期待が大きすぎた分、ショックが大きかったですね。 

 

 

 

 そして今回の終盤。

 シンガポールの空港で予定日を変えず、チケットを購入しようと交渉を始めますが、席の関係でそれは叶いませんでした。

 そこで飛び出すシラセ。ズカズカと進み、封筒に入った100万円をたたきつけます。 

 

 集団羞恥で鳥肌がたってしまった。こいつはなぜシンガポールの空港で堂々と日本円を出しているのか。気持ち悪いと思ってしまった。直情的とかそういう類ではなく、ただ気持ち悪いと。ただのバカにしかみえない彼女ら。

 

  そしてラストシーン。ビジネスクラスに変更することで、予定日を変更しないチケットを購入することに成功しました。

 しかしそこでヒナタのパスポートがシラセの鞄から発見されます。もうこれに関して、あきれて言葉が出てきませんでした。

 そしてハッピーエンドということでエンディングが流れ始める。がそのころにようやく感想が追い付きまして。

 「これはひどい

 この一言に尽きました。。ほのぼのだからとか言う理由は済まされないひどさがそこにはありました。

 

 

 

 

 

 〈まとめ〉

 

 今回だけでかなり長くなってしまったので、続きはまた明日アップしたいと思います。

 

 とまあ、ここまで長くなってしまったわけなのですが、見ていてこれはどうだったでしょうか?

 よりもいを見ていて気になることはなかったのでしょうか。これは個人の感想になると思うので、感じ方は様々だと思います。

 そういう見方もあるんだね、と軽い気持ちで捉えていただけたら幸いです。

 

 しかし、制作陣にはどうしても言いたいことがあるので、感想は後半も書きたいと思います。

 ではまた今度。